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  3. 精神医療6:ナチス優生政策と自閉症研究~アスペルガーの実像とASDの成立~

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自閉症スペクトラムという概念はどのように生まれたのか

現在「ASD(自閉症スペクトラム症)」という名称は広く知られていますが、この呼び方が一般化したのは比較的最近のことです。
国際的な診断基準である DSM-5(2013年) において、初めて「Autism Spectrum Disorder(自閉症スペクトラム障害)」という枠組みが正式に導入されました。

それ以前の診断体系では、自閉症はひとつの連続した特性として扱われていたわけではなく、複数の独立した診断名に分かれていました。
代表的なものが カナー型自閉症(自閉性障害)アスペルガー症候群 です。

ASD(自閉スペクトラム症)が日本で一般に広く知られるようになった時期については、検索結果には 特定の医師や団体が2005年頃に広めた という事実を裏付ける情報は見つかりませんでした。
一方で、ASDという概念自体は 1940年代から国際的に研究されてきた歴史 があり、2013年のDSM-5で「自閉スペクトラム症」として統合されたことが大きな転換点として確認できます。

1.言語発達、コミュニケーション障害(無関心、対人関係の不器用)
2.社会性の障害(友人をつくれず、遊びが苦手)
3.同一性保持行動(儀式化され常同化した行動を変えることへの抵抗)
4.知的障害を合併する

すべての条件が当てはまればカナー型、
2,3があてはまればアスペルガー型とされています。
参考:「精神科医はやりたい放題 内海聡著」

カナー症候群の発見(1943年)

自閉症の歴史は、1943年に児童精神科医 レオ・カナー(Leo Kanner) が発表した論文
「Autistic Disturbances of Affective Contact(情緒的交流の自閉的障害)」
から本格的に始まります。

カナーは、1938年頃から彼のもとに集まってきた子どもたちの中に、既存の精神疾患とは明らかに異なる特徴を示す一群がいることに気づきました。
そして1943年、彼は 11名の子どもたちの詳細な症例報告 をまとめ、これを「自閉症(autism)」と名付けました。

カナーが報告した11例の子どもたちは、当時の精神医学では説明しきれない独特の特徴を示していました。

・聡明で知的に見える容貌
・強い常同行動(同じ行動を繰り返す)
・驚くほど高い記憶力
・機械的・構造的なものへの強い興味
・他者との情緒的交流が極端に乏しい

これらの特徴は、後に「カナー型自閉症(Kanner’s syndrome)」と呼ばれるようになります。
カナーは、これらの子どもたちが示す行動は、当時「統合失調症の陰性症状」に似ていると考え、
「早期発症型の統合失調症」 として理解しようとしました。

カナーは、子どもたちの行動だけでなく、親の性格や家庭環境にも注目しました。
彼は、症例の多くで 知的で文化的だが、やや冷淡に見える親 がいると感じ、
そこから 「親の愛情不足が自閉症を引き起こす」 という仮説を立てました。
この考えは後に「冷蔵庫マザー(refrigerator mother)」理論として広まり、
自閉症児の母親が不当に責められる大きな社会問題を生みました。

しかし、現代の研究では、
自閉症は神経発達の特性であり、親の育て方とは無関係
であることが明確になっています。

カナーが記述した特徴的な自閉症像は、後に
「カナー症候群(Kanner’s syndrome)」
と呼ばれるようになりました。

これは、のちにアスペルガーが報告した「アスペルガー症候群」と対比される形で使われ、
DSM-IV時代には「自閉性障害(autistic disorder)」として分類されています。

アスペルガー症候群の発見(1944年)

レオ・カナーが1943年に「早期幼児自閉症」を報告した翌年、1944年。
ウィーン大学小児科に勤務していた ハンス・アスペルガー(Hans Asperger) は、
「自閉性精神病質(Autistische Psychopathie)」 と題した論文を発表しました。
この論文は、カナーの報告とほぼ同時期に生まれたにもかかわらず、戦後長く忘れられていたため、
現代の私たちから見ると「影の歴史」のような位置づけになっています。

アスペルガーが論文を発表した1944年のウィーンは、
すでに ナチス・ドイツの支配下 にありました。
ナチスは「優生学」に基づき、
障害児を「生きる価値のない生命」とみなし、安楽死政策(T4作戦)を実行していた時代 です。
このため、アスペルガーは自らが診ていた子どもたちを守るために、
「精神病(=治療不能で排除対象)」ではなく、
“精神病質(=人格特性であり、教育次第で社会適応可能)”
という枠組みで説明したと考えられています。

実際、アスペルガーは論文の中で、

Success

・社会性の困難
・一方的な会話
・特定の興味への強い没頭
・不器用な動き(ロボットのような動作)

などの特徴を示す子どもたちについて述べつつ、
「適切な教育を受ければ、特性を生かして社会で活躍できる」
と強調しています。

これは、当時の政治状況を考えると、
子どもたちを「排除の対象」から外すための戦略的な記述だった可能性が高いとされています。
しかし、自閉症を提唱したカナーはユダヤ人で、ナチスに母と同胞を殺された経緯もあり、ナチス側のアスペルガー氏に嫌悪感を抱いていたことや、戦後、米英の研究者達はアスペルガー氏の論文を無視していたこともあり、戦後世間で知られることはありませんでした。

カナー型、冷凍庫マザー理論の広がり(1950年~1960年)

1940年代にレオ・カナーが自閉症を「情緒的交流の障害」として報告した後、
アメリカでこの概念を大きく歪めて広めた人物が、シカゴ大学の精神分析家 ブルーノ・ベッテルハイム でした。
ベッテルハイムは、カナーが示唆した「親の冷たさ」という仮説を極端に拡大し、
自閉症は“母親の愛情不足”によって引き起こされる
という主張を強く押し出しました。
この考えは「冷蔵庫マザー(refrigerator mother)」理論として知られ、
1950〜60年代のアメリカで広く受け入れられてしまいます。

この誤った理論によって、
自閉症児の母親たちは社会から非難され、
「育て方が悪い」という烙印を押され、
深い罪悪感と自責の念に苦しむことになりました。

ローナ・ウィングによるアスペルガー論文の再発見(1981年)

一方、イギリスでは精神科医 ローナ・ウィング(Lorna Wing) が、
自閉症の理解を大きく変える重要な役割を果たします。

ウィングは自閉症の娘を持つ母親でもあり、
自閉症研究の第一人者として活動していました。

彼女は、1944年にウィーンで発表されていた
ハンス・アスペルガーの論文「自閉性精神病質」
を再発見し、その内容を英語圏に紹介します。

アスペルガーは、

・社会性の困難
・特定の興味への強い没頭
・ぎこちない動作

などの特徴を示す子どもたちを「自閉性精神病質」と呼び、
教育次第で社会で活躍できる可能性がある と述べていました。

ウィングはこの論文をもとに、
1981年に「アスペルガー症候群」という概念を提唱し、
自閉症は先天的な神経発達の特性であり、親の育て方とは無関係である
という立場を強く打ち出しました。

これは、ベッテルハイムの「冷蔵庫マザー」理論を根底から覆すものでした。

ウィングによってアスペルガーの研究が再評価されると、
日本でも1960年代以降、
カナー型自閉症とアスペルガー型自閉症の比較研究 が進みます。

当時の日本の精神医学界では、

Success

・言語発達の遅れがある「カナー型」
・言語の遅れが目立たない「アスペルガー型」

という二つのタイプをどう理解するかが議論され、
「自閉症とは何か」という根本的な問いが活発に交わされました。

この議論は、後のDSM-IV(1994)で
カナー型自閉症」と「アスペルガー障害」が別の診断名として扱われる流れにもつながっていきます。

しかし、ウィングが提唱した「アスペルガー症候群」は、
アスペルガー本人が記述した“自閉性精神病質”とは大きく異なる概念 へと変貌していきました。

アスペルガー(1944)ウィング(1981)
「精神病質(人格特性)」として説明「発達障害の一類型」として再定義
知的障害の有無には言及せず「知的障害を伴わない自閉症」として紹介
ナチス優生政策下での文脈現代的な臨床研究として再構築
社会性の困難+特異な能力を強調“自閉症スペクトラム”の一部として位置づけ

ウィングは、アスペルガーの論文をそのまま紹介したのではなく、
自閉症の臨床像を広く捉えるための新しい枠組みとして再編集した のです。

DSM-5(2013)では、
・PDD-NOS
・自閉性障害(カナー型)
・アスペルガー障害

などの複数の診断名が すべて統合されて ASD(自閉症スペクトラム症) となりました。

アスペルガー症候群の分類化

本来「自閉(autism)」という言葉は、
レオ・カナーが記述した “他者との情緒的交流の欠如=孤立” を中心にした概念でした。
しかしウィングは、

・「対人的無関心=孤立型
無表情で人に対しての関心がなく、呼んでも返事はなく、すれ違っても反応もなく他の人が見えてないかのような行動をする。

・「受動的な交流=受動型
最も少なく、最も問題行動が少ないタイプです。自分から周りと関わろうとはしないのですが、他の人が関わってきた場合は嫌がらない。

・「積極奇異型
周りの人と積極的に関わろうとはするのですが、自分本位に接し一方的な会話を延々とするので周りから引かれてしまう事も多い。

という幅広い対人スタイルを「自閉症の範囲」に含めました。

そのため、一部の学者からは
「もはや“自閉”ではなくなっている」
という批判が出たのも事実です。

ウィング女史はこれらの徴候さえあれば、知的レベルや発症年齢も問わないとした為、自閉症該当率は4倍強まで増える結果を招くことになります。

見直されるハンス・アスペルガー評価

長いあいだ、ハンス・アスペルガーは
「ナチスの安楽死政策から障害児を守った医師」
として語られてきました。

特に戦後の英語圏では、アスペルガーが

・障害児を守るために奔走した
・ナチスの優生政策に抵抗した

という“英雄的な物語”が広く信じられてきました。

しかし、このイメージは 近年の歴史研究によって大きく揺らぐことになります。

2018年以降、複数の歴史家(特にヘルヴィヒ・チェックら)の調査によって、
アスペルガーの戦時中の行動に関する新しい資料が発掘されました。
その結果、次のような事実が明らかになっています。

1. アスペルガーは「安楽死作戦」の現場に子どもを紹介していた

ナチスの「T4作戦」では、
障害児や重度の病気を持つ子どもたちが
薬物注射や飢餓によって殺害される施設 に送られていました。
その施設のひとつが、ウィーンの アム・シュピーゲルグルント児童施設 です。

近年の調査で、アスペルガーは
この施設に多数の子どもを“紹介”する診断書を書いていた
ことが判明しました。

つまり、従来語られてきた「子どもを守った医師」という像とは逆に、
彼自身が安楽死政策の一部を担っていた可能性が高い のです。

2. アスペルガーはナチスの優生思想に共感していた可能性

さらに、アスペルガーの若い頃の恩師は、
ナチスの優生政策を支持し、早期に党員となった人物でした。
その影響もあってか、アスペルガー自身も
・優生学的な価値観
・「社会に役立つ子ども」と「役立たない子ども」の区別
に共感していたとされます。

研究者たちは、
アスペルガーはナチスの思想に“抵抗した”というより、むしろ適応し、協力していた
と評価を改めつつあります。

3. 「守った医師」というイメージは戦後に作られた物語

戦後のアスペルガーは、

・自分の戦時中の行動を積極的に語らず
・英語圏の研究者も彼の論文を長く読まなかったため
彼の実像は曖昧なまま残されていました。

その結果、
「子どもを守った医師」という美しい物語だけが広まってしまった
という側面があります。

しかし、近年の資料調査によって、
この物語は歴史的事実とは一致しないことが明らかになりつつあります。

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