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  3. 精神医療2:精神医学の進化~分類、治療、そして薬物の歴史~

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全章の概要

精神医療の幕開けは、精神障害を分類し体系化しようとする試みから始まります。
ドイツの精神科医クレペリンは、それまで混沌としていた精神障害を「早発性認知症(現在の統合失調症)」と「躁うつ病(現在の気分障害)」の二つに大別し、精神医学に初めて明確な診断分類をもたらしました。

一方、ジークムント・フロイトは精神分析を創始し、現在のうつ病、パニック障害、不安障害、強迫性障害などに相当する症状群を「神経症」と位置づけ、その治療法として精神分析を発展させました。
精神分析は後にアメリカで力動精神医学として受け継がれ、広く影響を与えていきます。

20世紀初頭になると、マラリア療法、インスリンショック療法、電気けいれん療法、ロボトミーなど、さまざまな身体的治療法が登場します。しかし、これらの多くは生命の危険を伴い、さらに治療効果のメカニズムも十分に解明されていないまま実施されていました。

やがて20世紀後半に入ると、向精神薬クロルプロマジンの登場や地域精神医療の発展により、これら危険な治療法は姿を消していきます。そして精神医療は、薬物療法と地域支援を中心とした新たな時代へと移行していきます。

3大精神病
・早発性認知症(→精神分裂症→統合失調症)
・躁うつ病(→双極性障害)
・てんかん
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー上記と全く別のものと分類
神経症→うつ病、パニック障害、強迫性障害、恐怖症など(1980年DSM3まで)

薬物療法の登場以前 〜アヘン、モルヒネ、ヘロイン、コカイン〜

アヘン

薬物療法が登場する以前、アヘン、モルヒネ、ヘロイン、コカインといった、現在では危険薬物とされる物質の多くが「安全で効果的な薬」と信じられ、医療の現場で広く用いられていました。
歴史を振り返ると、私たちが「危険」と判断しているものも、かつては治療薬として賞賛されていた時代があり、現代の投薬治療もまた、その繰り返しにすぎないのではないかと考えさせられます。人間は過去の過ちから学びきれない存在なのかもしれません。

アヘン・モルヒネ・ヘロインはすべてケシの実から作られます。ケシは古代メソポタミア文明の時代から栽培され、古代バビロニアでは「歓喜の植物」と呼ばれ、乳液を飲んだり、乾燥させてアヘンとして快楽や鎮痛に用いられていました。
紀元前1500年頃のエジプトではアヘン製造の記録が残り、鎮痛剤として使用されていたことがわかっています。紀元前300年頃にはギリシャの哲学者テオプラストスがアヘンを記述し、アレキサンダー大王の遠征では兵士がアヘンを食べ、痛みを感じずに戦ったと伝えられています。ローマ帝国時代には医師ディオスコリデスがアヘンの採取法と薬効を詳細に記録し、鎮痛剤・睡眠剤として広く利用されました。

その後、ケシは亜熱帯地域に広がり、インドでも栽培され、11世紀頃にはイスラム圏を経てヨーロッパに再び伝わり、20世紀初頭まで民間薬として使われ続けます。

近代精神医療で最初に使用されたのがモルヒネです。1804年、ドイツの薬剤師ゼルチュルナーがケシからモルヒネを抽出し、「夢のように痛みを取り除く」ことからギリシャ神話の夢の神モルペウスにちなみ「モルフィウム」と名付けました。翌年には精神医学で鎮痛・催眠薬として使用され、アヘンやアルコール依存の治療にも使われました。しかし、南北戦争で負傷兵に大量に使用された結果、モルヒネ依存症が急増し、危険薬物として扱われるようになります。

モルヒネ依存を治す目的で研究が進み、1874年にモルヒネを原料とした新薬の研究が始まり、1889年にはベルリン大学病院とバイエル社が「ヘロイン」として発売します。当時は「依存性がなく、どんな病気にも効く副作用のない奇跡の薬」と宣伝され、世界中に広まりました。
しかし実際には最も依存性の高い薬物であり、アヘン・モルヒネ依存者を減らすどころか、ヘロイン依存者を増やす結果となりました。
1920年頃には医薬品としての使用が取り消され、麻薬として規制されていきます。

コカの葉

コカインの原料であるコカの葉は、紀元前3000年頃の古代インカ帝国で、アンデスの薄い空気に適応するために噛まれていました。
1859年、ドイツの化学者ニーマンがコカイン抽出に成功し、1880年代に医療界に広まります。
精神分析の父フロイトもコカインを使用し、ガールフレンドや知人、患者に勧めていました。フロイトは「大量に摂取しなければ毒性はない」と信じており、彼が処方したコカインで患者が死亡した例もあります。

さらに、モルヒネ依存の友人にコカインを与えた結果、モルヒネ依存からコカイン依存へ移行させてしまうという悲劇も起きました。
1884年には「精神の病だけでなく、あらゆる病気に効き、中毒性がない万能薬」と絶賛する論文を発表しますが、ヨーロッパ中でコカイン中毒が蔓延し、フロイト自身の評価も大きく落とすことになります。

コカ・コーラ

1886年には、アメリカ人ジョン・ペンバートンがコカの葉を原料とした清涼飲料「コカ・コーラ」を開発します。当時はモルヒネ中毒にも効くと信じられ、治療薬として販売されましたが、結果的にコカイン中毒を招くことになりました。1903年に中毒性が問題となり、コカインはカフェインに置き換えられ、世界的に規制対象となっていきます。

覚せい剤の登場 ~アンフェタミン、メタンフェタミン~

覚せい剤

覚せい剤も、戦前には向精神薬として利用されていました。
現在では「違法薬物」として強いイメージがありますが、その始まりは医学・薬学の研究の中にあります。覚せい剤とは、アンフェタミンやメタンフェタミンといった化学物質の総称であり、その源流は 日本の薬学者・長井長義 による発見にさかのぼります。

1885年、長井長義はマオウ(麻黄)という植物から エフェドリン を単離抽出することに成功しました。これは、気管支拡張や興奮作用を持つ物質であり、後にアンフェタミン系薬物の開発につながる重要な発見でした。

エフェドリン

このエフェドリンを基盤として、

アンフェタミン は1887年、ルーマニアの化学者ラザル・エデレアーヌによって合成され、
メタンフェタミン は1888年、日本の長井長義によって開発されました。

これらの薬物は当初、

・うつ状態の改善
・気力の増強
・眠気の抑制
・喘息や鼻づまりの治療

など、医療目的で使用されていました。
しかし、その強い覚醒作用と依存性が次第に問題視され、戦後には乱用が社会問題となり、現在のように厳しく規制されるに至ります。

アンフェタミンは、1935年に欧米で商品名「ベンゼドリン」として販売されました。
その効果は当時の医学界で高く評価され、1937年にはアメリカで「副作用のない素晴らしい薬」と称賛され、“驚異の薬(wonder drug)” と呼ばれるほどでした。
眠気を取り除き、気力を高め、集中力を向上させる作用が注目され、医療だけでなく一般社会にも急速に広まっていきます。
日本でも第2次世界大戦中、アンフェタミンは軍需目的で利用され、

・武田薬品工業が「ゼドリン」
・富山化学工業が「アゴチン」

という商品名で販売していました。
兵士の疲労回復や士気向上、工場労働者の作業効率向上など、戦時下の「生産性」を支える薬として重宝されていたのです。
しかし、こうした“奇跡の薬”としての扱いは長く続かず、依存性や精神症状の悪化が次第に問題視され、戦後には乱用が社会問題となっていきます。
アンフェタミンが「危険薬物」として規制されるようになるのは、こうした歴史的背景があったためです。

一方、メタンフェタミンが初めて世に出たのは、1938年のナチス・ドイツでのことでした。
当時「ペルビチン」という商品名で発売されたこの薬は、強力な覚醒作用を持つ興奮剤として注目され、一般市民でも手軽に入手できるほど広く流通していました。
やがてナチスは、この薬の効果に目をつけます。
長時間の行軍や連続戦闘を強いられる兵士たちにとって、眠気を消し、集中力を高める作用は非常に魅力的だったのです。
こうしてペルビチンは軍隊に大量に支給され、
「戦車用チョコレート」や「パイロットの塩」といった俗称で呼ばれながら、戦車兵やパイロットの間で広く使用されていきました。
しかし、その覚醒作用はあまりにも強烈でした。
依存や副作用が深刻化し、兵士たちの健康被害も無視できないものとなっていきます。こうした状況を受け、1941年にはドイツ当局が危険性を認め、一般市民への販売は厳しく制限されることになりました。

ヒロポン

しかし、日本では状況がまったく異なる方向へ進んでいきます。
ドイツでメタンフェタミンが危険薬物として規制された まさにその1941年、大日本製薬(現在の大日本住友製薬)はメタンフェタミン製剤「ヒロポン」を発売しました。同時期にアンフェタミン製剤の「ゼドリン」「アゴチン」も登場しますが、圧倒的に広まったのは、より強い覚醒作用を持つヒロポンでした。

ヒロポンは
「飲めば眠らなくても仕事ができる」
「勉強もはかどる」
「万能薬だ」

と宣伝され、一般市民の間にも急速に浸透していきます。

戦時下ではその利用はさらに拡大し、工場労働者には長時間労働を強いるために覚醒剤が配布され、10時間以上の過酷な作業が常態化しました。
軍隊でもヒロポンは重宝され、疲労回復や士気向上、視力の改善を目的として特にパイロットに重点的に支給されました。ドイツと同じように「ヒロポン入りチョコレート」まで作られ、特攻隊が出撃前に使用した記録も残っています。


終戦後、軍から流出した大量のメタンフェタミン製剤が闇市を通じて一般社会に広がり、昭和20年代前半には町の薬局でも普通に購入できる状態になっていました。受験勉強や徹夜仕事のために使う人も多く、一時は「疲れが取れる薬」として日常的に利用されていたのです。
しかし、次第にその深刻な副作用と依存性が社会問題化し、1951年には「覚せい剤取締法」が制定され、ヒロポンを含む覚醒剤は厳しく規制されることになりました。以後、覚醒剤は「シャブ」「エス」「スピード」などの俗称で呼ばれ、その依存者は「ポン中」「シャブ中」と呼ばれるようになっていきます。

アンフェタミンは、日本では「フェニルアミノプロパン」という名称で覚醒剤取締法の対象となり、厳しく使用が禁止されています。しかし、アメリカをはじめとする西洋諸国では事情が異なり、現在でも医療用・非医療用の両面で広く使用されています。
アメリカでは、長距離トラック運転手や建設業の労働者、工場作業員など、長時間の集中力が求められる職種の人々が、作業効率を上げる目的でアンフェタミンを使用することがあり、俗に「レッドネック・ドラッグ」と呼ばれることさえあります。また、学生の間では「頭が良くなる薬」として試験勉強に使われるケースも後を絶ちません。
医療の領域では、アンフェタミンはメチルフェニデート(リタリン、コンサータなど)と並び、ADHD(注意欠陥・多動性障害) や ナルコレプシー の治療薬として正式に認可されています。
適切な管理下で処方されるとはいえ、その作用は強力で、慎重な使用が求められます。
実際、アメリカ食品医薬品局(FDA)の有害事象報告システム(AERS)を分析した研究では、アンフェタミンに関連する「殺人」「暴力」などの他害行為の報告が、平均の 約9.6倍 に達していたことが示されています。合法であっても、強い覚醒作用と依存性を持つ薬物であることに変わりはなく、そのリスクは社会的にも医学的にも大きな議論を呼び続けています。

覚せい剤類の化学構造と作用機序

エフェドリン、アンフェタミン、メタンフェタミンはいずれも化学構造がよく似ており、作用機序にも共通点があります。これらの薬物は、神経細胞におけるセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンといったモノアミン系神経伝達物質の放出を促進し、さらにトランスポーターによる再取り込みを阻害することで、中枢神経に強い影響を及ぼします。

基本的には、これらの作用は精神科で処方される「抗うつ薬(三環系、SSRI、SNRIなど)」や一部の抗精神病薬と大きく重なる部分があります。つまり、医療用として使われる薬物と、覚醒剤として知られる薬物の間には、作用機序という点で共通性があるのです。

薬物療法の夜明け
(抗うつ薬、抗精神薬、抗不安薬の登場)

1952年、フランスの外科医アンリ・ラボリは、クロルプロマジンが精神科領域で有用であることを示唆しました。この発見は大きな転換点となり、クロルプロマジンは数年のうちにヨーロッパ全土で統合失調症治療薬として広く使用されるようになります。これをきっかけに、抗精神病薬・抗うつ薬・抗不安薬といった向精神薬が次々と開発され、現代精神医学の薬物治療の基盤が形づくられていきました。

クロルプロマジンの登場は、統合失調症治療の歴史を大きく変えました。閉鎖病棟中心だった精神科医療は、薬物治療によって症状を安定させ、外来での治療を可能にする方向へと舵を切ります。その結果、電気ショック療法を除く多くの身体的治療法は姿を消し、薬物療法が精神科治療の中心となっていきました。

1950年代には、薬物の効果とその作用機序の研究から「モノアミン仮説」が提唱されます。モノアミンとは、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった精神活動に関わる神経伝達物質の総称です。

この仮説は、

・「うつ病はセロトニンやノルアドレナリンの低下で起こる」
・「統合失調症はドーパミンの過剰で起こる」

といった考え方を生み、以後の薬物開発の方向性を決定づけました。うつ病にはセロトニンやノルアドレナリンを増やす薬を、統合失調症にはドーパミンを抑える薬を――という現在の治療戦略は、この仮説を基盤にしています。

1980年代には、三環系抗うつ薬(TCA)が主流となる中で、より選択的にセロトニン再取り込みを阻害する薬が開発され、「SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)」が登場します。SSRIはTCAにみられた重篤な自律神経系の副作用を避けられる薬として受け入れられ、後に登場する「SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)」とともに、抗うつ薬の第一選択薬として広く用いられるようになりました。


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